Shiratama Mochimochi

白玉パフェが食べたい。

ひょんなきっかけで自分の過去の気持ちのゴミ箱みたいなブログを開いてみて、自分の文章はやっぱり少し好きなんだよなと思っているうちにやっぱり倩自分の気持ちを書くのは楽しいなと思ったのでものすごく久しぶりにブログエントリーを書くなどする。ツイッターは長文投稿に向いていないから。

 

自分は彼氏との関係が破綻した2年前くらいから、ずっとずっと過去に囚われている。過去の記憶もそうだし、後悔とか自分への憤りとか、そういうものががんじがらめになって一個の大きい何かになって過去の思い出を流す排水溝をつっかえさせている。囚われている、なんて聞こえは少年漫画のキャッチコピーみたいに痛々しいが、本当にその考えに頭が囚われていて、他の楽しさとか、達成感とか、期待とか、そういうものさえちゃんと感じられない。

 

このことをツイッターでもなんども何度もツイートして、なんども何度も友人に相談した。そうして角を削ってゆけば、どうにかこうにかして自分で飲み込めるくらいに小さくなって、そのうち自分で咀嚼してどうでもないことのように消化できるだろうと思っていた。

でもそんな甘いもんじゃなかった。6年とそれ以上の人に対する感情はあまりにもねちっこくて、自分でも引くほど頑固だ。友人に言わせれば「純粋でまっすぐ」で、親に言わせれば「みっともなくしがみついている」この感情はいつになったらちゃんと濾過されてゆくのか。

何度も何度も思いつく限りのキーワードたちをグーグルの検索バーに打ち込んだ。他の恋愛のプロはこの状況をどう打破しているのか知りたかったから。それでも出てきたのは風水やら占いやらのアドバイザーのプロの課金サービスに繋がる記事が大半で、ダイレクトな答えなんかはなかったし、友人に聞けば自分の携帯をひったくって出会い系アプリをインストールしようとするので他人に答えを求めるのはやめた。多分そこから詰まってしまって、答えを求めるのを放棄した結果、後悔とか、記憶とか、感情とかに飲まれてしまっていまだに抜け出せていない。

相手には自分の想いを3度も拒否された。自分はその答えを「咀嚼して受け入れて行く」なんてカッコつけたことを言ったけれど、そんなもんできるなら多分自分は今最高に痩せている体で今はやりのとろみ生地のパンツスーツで青山を闊歩するOLになれている。それくらい無理だった。どうして無理なのか。そこまでして自分はこの人に執着するのか。それまでに自分はこの人が好きなのか。それとも思い出とか、楽しかった感情とか、そういうものがあまりにも大事で手放せないのか。多分どれもあっていて、だから手放せない。でもその感情が回り回って今の自己の否定に繋がっているのは確かだし、それが有る限り自分はこれより先に進めない。先に進まなくていいと思う自分もいる。なんならこの思い出を抱いたまま死ねばいいと思う自分もいる。でもその先に待っているのは多分真っ暗な行き止まりだ。それがわかってしまうので、そこに一人ぼっちで止まるのは怖いので、先に進まず、過去に浸かるという選択を拒んでしまう。それでも先には進めない。結果どうすればいいのかわからずにその場に立ち尽くしたまま。

言い切ってしまうと、こんな堂々巡りの答えのない考えをしてしまう自分が嫌いだ。やることは山のようにあるのに、終わりの見えない考えを巡らせて、ひとしきり凹んで、せっかくの時間を丸々潰してしまう自分が嫌いだ。なんならもう自分との関係性なんてよく切れる包丁ですっぱり切ったように、自分の好きな素敵な相手を見つけて、一回りもふた回りも前より大人に成長するという偉業を成し遂げている元彼も嫌いだ。でもそれ以上に、過去の信じられないくらい自己中心的で、多分躁鬱状態だったモラハラ気質の自分をここまで常識人に戻してくれた彼に伝えきれないくらいの申し訳なさと、人間としての尊敬と、好意を抱いてしまっている。それだから多分、もうしばらくはこのなんとも言えないものを御守りのようにいつも頭の片隅に置いて、ひょんなことから中をのぞいて自己嫌悪に陥るのだ。