Shiratama Mochimochi

白玉パフェが食べたい。

就職活動疲れて自殺も考えてるって話

だいぶまえにニュースでちらほらと見た「就職活動で大失敗、自殺までする学生も」なんて派手なテロップ。お袈裟にリアクションするゲストや芸人と、若者はヤワだと詰る道端インタビューでイキるおじさん。その時はほーん厳しい世の中だな、くらいにしか考えてなかった。まさかそれが今、自分に降りかかってくるとは。

 

自分はもうすぐ卒業する。海外の大学なのでこの時期。予定どうりに単位が取れていれば六月には大学から学士号が賜れるはずだ。それなのに今の所、内定はゼロ。面接の予定すらもらっていない。これまでなにをやってきたのか。なぜこんなにもお先が真っ暗なままなのか。だいたいの始まりは去年のボストンキャリアフォーラムまで遡る事になる。

 

2018年11月。留学生にとって、いや全ての就活生にとって結構大きなキャリアフォーラム「ボストンキャリアフォーラム」がニューヨークで開催された。参加企業は100を超える上、比較的簡単に内定が出ると評判の就活フェア。実際自分も就職フェアなんぞに行ったことがないくせにたかをくくって、内定が出た参加者の「簡単」という単語に調子をよくしながら、スーツだとちょっと身が引き締まるな(笑)まあ帰るうちに内定一個くらいもらえるやろ(笑)みたいな真剣に就職活動をしている学生からしたら殺したくなるようなスタンスで参加した。結果は目に見えて惨敗だった。高圧的でこちらの解くケース問題の回答を紙くずのように見つめながら、足を組んだり組み替えたりしながら「で、どうなるのこれが。」とずっとずっと表情を変えずに質問をしてくる面接官。布でしか仕切られてない面接ブースから聞こえてくるサークル活動でマネージャーをした経験とか、豊富な留学経験を惜しげも無く紹介する声。内定が決まった嬉しさを国際電話で母親に報告する学生。もう内定が決まっているけど惰性で来た、なんて笑いながら話している学生。自分がいかに無知でちっぽけな存在なのかを思い知らされて、全てがトラウマになった。無個性な黒のスーツに身を包んで、どれだけ自分が企業にとって有益な存在であるかと長々と履歴書に書き連ねても、企業の人事課には何にも響かなかった。もちろんこのイベントで得たものは多々あった。でも、失ったものの方がはるかに多かった。

 

日本での就職を半ばボスキャリを通じて無理だと感じた自分は、海外での就活も始めた。でもこれが思った以上に辛いものだった。そもそも、海外には「新卒採用」という概念がない。そのため学生は夏休みにインターンなどをして経験とお金を稼ぎながら企業の募集要項を満たすような経験を稼ぐ。しかしこれが自分にはない。ここで少しつまづく。でもまだ機会があるはず、とめげもせず「エントリーレベル」「アソシエイトレベル」の仕事にアプライした。でも連絡がこない。海外の企業はだいたい「もし履歴書とカバーレターが面白かったら連絡するね、でもダメだったら連絡しないよ!」のスタンスなので、ただただ待つしかない。これがとてもきつい。よくサイレントお祈りが辛いとか、お祈りメールがあった方が辛いとか言われるが、そもそも履歴書を読んだのか、読んでないのか、まだプロセスしているのか、していないのかすらわからない状況は本当に精神にクる。お祈りメールを送る企業もあるにはあるが、全部じゃないので確認メールを送ったらいいのか、よくないのかさえわからない。この「何も言ってはないけど言いたいことは悟れ」感が、疲労感にダイレクトにつながる。

 

年は変わって3月。もう2020年の募集に全霊をかけるしかねえ、と思いマイナビ他様々な就職サイトで募集を血眼でみる。しかしほとんどの募集に「説明会参加必須」の文字。もし説明会を開いていなくても、国内大学卒業予定の学生に限る、だとか、国内選考、だとかでそもそも海外大学卒業生の入る隙すらない。自分の探し方が雑なのか、下手くそなのか。結局「就活スタートダッシュ」も、多分失敗に終わった。大学の課題に追われ気味なのもあって、正直十分にリサーチもできないまま、今に至る。

 

ここまで企業に頑なに拒否をされ続けると、自分という人間の価値なんてそもそもないんじゃないのか、なんて考え始める。もともと低かった自己評価も、他人がドン引くレベルにまで達するようになった。もうそれでも時は待ってくれないし、就活の限られた時期もどんどん過ぎ去ってゆく。それにどうにかしてしがみつこうとはしてみても、親の容赦ない言葉や周りの希望の企業で頑張っているきらきらした姿が目をくらませ、足を止まらせる。「就職活動はこれからだよ」「まだ頑張ってないんだよ」「機会はみんなにあるんだから頑張れ」なんてありがたい言葉ももうひねくれた態度でしか聞けなくなった。今希望の職種に着くのは難しいし、そういう職を手に入れた学生たちは陽に当たらない部分で血の滲むような努力をしてきたのだということは重々承知しているし、自分にはそれが全然足りないことは理解している。でももう結果の確定されない物事に対して「頑張る」ことに対して悲観的になってきて、もう正直将来を希望の目で見ることすら半ば諦めかけている。それでも親に迷惑はかけたくないというのもあって、死んだら多分全部オールオッケーなんじゃないかな、なんて考えはずっとずっと頭の隅に緊急袋のように鎮座ましましている。

 

だいぶ文字に起こしたらスッキリした。課題やろ。